8月19日(土)
19日未明(確か1時過ぎ)携帯が鳴る。山古志の前議長関市会議員から「代議士が亡くなった・・・・・・・」と、突然の電話にただただ唖然とする。
関さんからは、15日早朝に電話をいただき、代議士が15日未明に救急車で搬送されたと聞いており、その時関さんは、他人には言えないが、手術ができない場所なんだと話され容体は予断を許さないのではないか・・・・と。17日の新潟日報には「脳卒中で2カ月の入院加療」と報道される。本当にそうであってほしいと思った・・・・・・・。
西山秘書は、先生に声をかけたら応対をした。倒れて1日目より、2日目と声をかけると対応はいい。あの頑丈の体だし、山古志で鍛えた体と精神だ。絶対に復帰しますよとの電話の声に勇気つけられたが、山古志の関さんが、口にチャックでと言われた言葉が頭をよぎったが・・・・・。
今日は自民党の大和支部の役員会を計画していたこともあり、西山秘書から詳しく聞いて役員に報告と思い、小沢議員と黒滝議長と3人で山古志に行くことにする。林市長からも電話があり、井口前市長と5人で伺う。
新装なった長島代議士の事務所により、そして11時頃山古志に向かう。東京の小島秘書が、「関先生が最後の陳情でしたよ(押合大祭の件で)」の言葉に涙が出る。安倍首相、二階幹事長の花が届く。まさに眠っているようで、声をかければ返事をするようだった。
●山古志の自宅にて。奥様とご長男を前に、林市長、井口市長とも
突然の訃報で悔しがるばかりです。ただ残念ですの声が強く聞こえた。