10月23日(月)10:00~13:00
平成16年10月23日17時56分頃、中越地方の深さ13㎞でM6.8の自信が発生し、最大震度7を観測した。その後も震度6強が2回、震度6弱が2回、震度5弱が6回と活発な余震活動が続いた。
私は同時刻、村上17:42分発の「きらら うえつ」の特急電車の中で地震に遭遇する。代換えバスで新潟着が真夜中。その日は新潟泊まり。翌日は電車、バスを乗り継ぎやっとの思いで長岡までくる。長岡から柏崎までタクシー。柏崎から直江津まで電車。直江津から長野へ出て大宮から新幹線で湯沢まで来る。湯沢からタクシーで我が家着が真夜中の12時頃。家族の顔を見てホットしたことが思い出される。
一昨日田麦山のお母さんの葬儀があり、追悼式で、田麦山の地震(家が崩壊)・お母さんの死が重なり、涙が止まらなかった。
関小千谷市長の開式の辞

一日でも早い復興を祈り、献花する。
会場の長岡市立劇場を後にして、地震の爪痕が残る、復旧真っ最中の「山古志」経由で帰る。初めての山古志入りだが、すごい工事だ。山一つ、沢一つをコンクリートで埋めている感じだ。そして、目立つ空き家や廃家。この工事で昔の山古志が村が里が、田圃が畑が復活するのだろうか!!国のメンツにかけて、工事をしているように思った。何とも複雑な気分になった!
被災者の前途は、これからが大変なんだと思うと、政治の力が必要と痛感した。