10月4日~5日
NHK大河ドラマ「天地人」直江兼続公生誕の地議員会では、「風林火山」の地元甲府市と北杜市を訪れる。議員も葬儀等で欠席の他は全員が参加、執行部からも担当部長等5名の参加がある。2日間の視察を通じ、できれば、北杜市のようなロケに使用してもらえる館が必要と思った。もしそうでなければ「天地人博」とか「直江兼続公生誕の館」とか何か核となる施設は不可欠と強く思った。そして、一過性にならないようにと考えると、それで尻込みするので、両市の説明現地を見させて頂き、館や施設等は割り切って一過性でも良いと思った。それは核になる施設を作れば必ず観光客は来ると確信した。
そして、浦佐毘沙門堂を核にした誘客についても、六日町、塩沢に負けない対応ができると思った。
<1日目>
恵林寺は武田信玄の菩提寺

武田神社

甲斐の国 風林火山博実行委員会の方から概要と現状を聞く

風林火山博~20万人(採算上)の目標が40万になりそう



<2日目>
北杜市役所(廃校になった学校に仮住まいしている)

北杜市役所にて風林火山館の建設の経緯、概要等説明を受ける。
来館者は40万人の目標の所、9月末で43万人、60万人は見込まれる。

風林火山館~武田信虎・信玄・勝頼の武田三代の居館を再現する。(ロケに使用)
敷地内には冠木門、大手門、主殿、御番所、隅櫓、馬屋、長屋などが配置されている。



川中島の戦い~川中島古戦場にて
・12年間に5度戦い、永禄4年(1561)の4回目の戦いが最大で信玄、謙信の一騎打ち。
この時山本勘助が進言したのが「きつつき戦法」、この戦法を見破り謙信は信玄の本陣ま
で目指す。危うく難を逃れた信玄。勘助は戦法の失敗の責任をとり壮絶な戦いで死す。
この時、我が英雄「直江兼続公」は1歳であった。

